83年発売のバイクを色々と調べる機会があり、あらためてRG250Γの凄さを感じたのでした。なんといってもレーサーレプリカの元祖、その開発背景は熱いんだなぁ。
Γがすごいのは「ひと目でレーサーレプリカ!」とわかるルックスだけではなく、レーサーのそのものの構造を市販車に持ち込んことがすごいのだ。レーサーレプリカというジャンルのフォーマットを決めてしまい、それは現在でもスポーツバイクの基本形となっている。それほどΓで実現したことは大胆で挑戦的だったと思える。
スズキの名物部長といえば横内さんだけど、当時のインタビューでRZRやMVXを「あれはレーサーレプリカじゃないでしょ」とズバッと切り捨てている。実際、バイクの良し悪し、技術的な類似性は別にして、RZRやMVXはTZやYZR、NSには似ていないし、「あのレーサーを元にしているんですよ!」と言われてもイメージし辛かったと思う……。
振り返るとスズキは「こうすりゃいいじゃん?」でイニシアチブを一気に持っていくことが多い。GSX-R1000K1もそう。ファイヤーブレードやYZF-R1が公道での楽しさを追い求めていたときに、レーサーベースといえるGSX-R750を元にGSX-R1000を生み出して、一気にスーパースポーツをリードした。これがスズキの方法論なんだな。
Γの目玉となった市販車初採用となったアルミフレームだが、その素材は三菱アルミが開発した新材質のMR787。スチールで同フレームを作ると13kg、対してアルミは7.6kgと大幅な軽量化を実現した。MR787に決定された理由には、素材そのものや溶接後の美しさも考慮されたというから、商品アピールとしてのアルミフレームを前面に押し出していたことがうかがえる。
ただ、不思議なのは、初期型であるGJ21Aが発売されたあと、85年のGJ21Bでは排気バイスSAECの採用やフレームの見直し、スタイリング変更を行って以降は、88年のRGV250Γ(VJ21)の登場に至るまで、マイナーチェンジ程度しか行わなかったことだ。85年にTZR250(1KT)が登場し、86年末にはNSR250R(MC16)が登場する。世の中はレーサーレプリカの猛烈な進化の時代。85年から87年というホットな時代に、なぜΓはマイナーチェンジのみだったのだろうか……謎だ。
引っかかるのは、83年でスズキがレース活動から完全に撤退したことがあげられる。「レースをプライベーターにお返しする」という言葉とともに、国外・国内のレースから完全に撤退したスズキ。その83年に、スポーツバイクの基準となって送り出されたΓ……。
翌1984年に登場するGSX-R、そして1985年に登場するGSX-R750も含めて、スズキスポーツバイクの集大成3部作というニュアンスが込められていたのではないだろうか。もちろん、これで終わりというわけではない。でも、「数年は安泰なんじゃない? なにせ持てるノウハウを全部投入したからね」という意識はあったかもしれないね。
「勝負あった」としたかったスズキと、ΓとGSX-Rを見て燃えた他メーカー。それがそのまま80年代後半の差となって表れたのかもしれない。スズキは1988年にWGP復帰を目指して1987年から新開発のRGV-Γ500をスポットでGPに送り出して、市販車でも1988年にRGV250Γを発売したけど、ユーザー的にはTZR、NSRを送り出したヤマハ、ホンダからはちょっと遅れた感があった。GSX-Rも油冷・ダブルクレードルフレームにこだわり過ぎて(いや、大好きだけど)結果的に苦戦することになった。
当時を振り返ってみると、1KTやMC16の中古が40-50万円台で売られていた80年代後半、Γの5型は34.8万円で叩き売られていたことを思い出す。たしかに、当時は「アルミフレーム細!」と思ったけど、今見ると5型Γいいんだよなぁ……。もっさりとした感じのカウルと、味のある青水色のスズキワークスカラー。中古もほとんど出回ってないんだろうな。
ということをグダグダと考えていると、時代を切り開いたΓを一度は所有してみたかったなーと思う。ただ、今は2ストならなんでも高騰しているので数年は待たねばならないかもしれないが……。
SRSスガヤのTT-IIIコンプリート。99万円でヨシムラGSX-Rを追い回すほどの実力。夢があったね。